YouTube留学のすすめ

最近の週末のうちの1日はPHILOSOPHY関連のYouTubeをカフェで観て過ごすことが多いです。Crush Courseという番組で、さまざまなテーマでPHILOSOPHYについてレクチャーしてくれるのですが、その語り口が面白く、ボキャブラリーが追いつかなくても十分に楽しめます。

また、PHILOSOPHYというものは、それぞれの話題がどこかでつながっていて、まさにConnecting the dotsで点と点が線となり線と線が面を成し、面と面が立体として立ち上がってくるように、イメージが膨らんでいくので、やればやるほど夢中になってしまうのです。

YouTubeの検索窓でCrush Courseと検索すれば、PHILOSOPHY以外にも、PSYCOLOGYやLITERATURE、PHISICSなどのコンテンツを視聴することができます。無料でこれだけのコンテンツを学べることは夢のようです。

レベルとしては公式HPにはAP HIGH SCHOOL CURRICULUMとあります。APはAdvanced Placementの略で、APはWikipediaによると”a proguram in the United States and Canada created by the College Board which offers college-level curricula”
を意味するそうです。Liberal Artsの入門編というところでしょうか。

PHILOSOPHYと平行して新たに受講を始めたのがANATOMY&PHYSIOLOGYです。もともとBrain Scienseには興味があったのですが、英語で学んだことがなかったので刺激的です。

すでに日本語で学んだ科目を英語で学び直してみることは非常に有効だと思います。既知の用語を無理に英語に当てはめようとはせず、フレームのみをビジュアルでイメージして、埋めていく感じです。

より良い世界のイメージを構築し、共有するために英語でphilosophyを学ぶこと

今、philosophy of mindに取り組んでいます。特にconsciousnessについて、それからfree willとdeterminismの関係についても興味があります。さらにutilitarianismについても調べ始めています。

哲学には高校時代から興味があり、翻訳ではいろいろと読んできました。それらを学ぶことで自分自身の日本語の語彙が増えていき、認識や存在について自分の頭で深く考える素地ができたように思います。

そして文学についても、ずっと日本の小説家や詩人のもの以外は翻訳で読んできて、それが自分の世界イメージを豊かにする重要な働きをしていたと思っています。

しかし、日本語と翻訳語で考えるという行為は非常に限定されたものであるという自覚が生じてきました。世界中の多くの人々が日本語とは全く異なる言語による世界イメージを持っているということについて無視できなくなりました。

翻訳は日本語世界の枠を広げる役割を果たしてくれましたが、世界に直接アクセスするという意味では役に立たず、むしろ見えないものを想像しているだけのようなもどかしさがありました。

今、philosophyについて英語で学ぶことは、私にとってはこれ以上ない喜びに満ちた行為です。そして、いずれはそれらのボキャブラリーを生かしつつ、自分の頭で、英語で深く考えることが目標としてあります。

そのときに、私は英語圏の人々と英語で対等にコミュニケーションを取っている自分の姿をイメージすることができます。なぜなら、日本人の中で哲学を学んでいる人間がごく一部であるように、英語圏の中でもphilosophyに興味を持って学び続けている人間はそんなに多くはないからです。

つまりは、英語でphilosophyを学ぶということは、ネイティブの英語を目指すよりも先を見据えるということです。英語で高度な抽象思考を行い、英語圏の同じく高度な抽象思考を行う人々と意見を交換し、より良い世界のイメージを構築し共有して、イメージから世界を変えていくという目標にチャレンジすることができるのです。

外国人へのインタビューについて

ライターとしては通訳なしでの英語取材というのをまだやったことがなくて、でもこれからは確実にその機会がありそうなので、今から準備をしています。

日本企業で働く外国人のビジネスマンや日本の学校で学ぶ海外からの留学生にインタビューする機会は意外と多いのですが、ほとんどが上手に日本語を話されるため、基本的に日本語でインタビューして、通じない単語を英語で伝えるくらいなものです。

以前、職場に外国人のデザイナーが入社してきたことがありましたが、日本語で事足りるため、一度も彼女の英語を聞くことはありませんでした。それも異なるチームでの繁忙期だけの契約だったため、ほとんど接点もなかったので惜しいことをしました。

試しに、海外のライター向けにインタビューのコツを書いた英語版のサイトを見つけて読んでみましたが、基本的な取材の準備、進め方は日本語で私たちが進めるやり方と、ほとんど変わりません。

取材対象者の情報を事前に調べて、だいたいのイメージを膨らませます。これまでにどんな発言をしているのか。得意分野は何なのか。これからどんなことを実現したいと思っているのかなど・・・

無名の人物の場合であれば、簡単な事前情報からライフストーリーを仮定して、質問項目を組み立てます。もちろん、完成型の紙面をイメージして、どのような答えが飛び出すのかを予測しておくことが必要です。

とは言うものの、すべてが予想通り、予定調和ではインタビューする意味がありません。アルゴリズムが思いつかないような質問をぶつけて、取材対象の心に不快に感じさせない程度の刺激を与えて揺さぶりをかけ、また、他のメディアでは語っていないような心情や事実を語るきっかけを作るのです。これは英語だろうと日本語だろうと同じことです。

ただ、外国人を取材する場合には、宗教的タブーなどの文化的な配慮が必要です。その意味でも異文化についてのある程度の知識と事前調査は欠かせません。意図せず相手に不快感を与えて、せっかくの時間を無駄にしてしまうことは、双方にとってとても残念なことです。

発音よりも、ボキャブラリーよりも、大切なこと

英語を話すことに抵抗を感じる人は多いと思います。特にフォーマット的な会話から抜け出して、自分の考えを伝えることには臆病になってしまう人がほとんどではないでしょうか。

確かに、自分の意見を積極的に発言すること自体、日本語で話す場面であっても、日本人の多くは苦手意識を持っていると思います。集団主義的な価値観は、これだけグローバル化が叫ばれる現代であっても日本人に深く根を張っているからです。

そのこと自体の正否をここで問おうとしているのではありません。ここで問いたいのは、その価値観で英語を話そうとしても、それは英語にはならないということです。

集団の中での自分の安全な立ち位置だけを考えて、のらりくらりと言葉を操っても、英語でのコミュニケーションにはなり得ません。それでは人格の統一性を疑われても仕方がないでしょう。

例えば、正義とは何なのかを、自分にとっての正しい行いとは何なのかを真剣に考えることをせず、その時々で自分が有利となるよな他人に追従するだけの人間が一人の大人として認められるでしょうか。

少なくとも自分の経験の中で、学びの中で、正しい行いとは何なのかという価値観が形成されていて、その価値観に従って意思を表明することが人格を備えた大人と言動と言うものではないでしょうか。

問題は淀みなく話すことでも、ボキャブラリーをたくさん持っていることでもなく、語るべき価値観を有しているかという一事に関わっているということです。

そして、そのためには自分の目や耳や手足をフルに使って情報を収集し、それらの情報から自分の考えを組み立てるという作業が欠かせませんし、そうして組み立てた考えを周囲の人間に対して表明し、議論を積み重ね、修正すべきだと思ったところには修正を加えて、価値観を常に更新していくことが必要です。

これは、私たちが日本語を話すときのことを振り返れば容易に想像のつくことですが、人が真剣に考えながら話すときには、言い淀んだり、言い間違えたり、同じ言葉を繰り返してしまったり、といった話し振りになることが珍しくありません。

それは英語を母国語とする人たちだって同じことです。そんなことよりも、あくまでも話す内容が大切なのです。

まずは、自分の価値観を磨き、それをどのように表現して伝えるのかを考え、実際にプレゼンテーションしてみること。価値観がしっかりしていれば、必ずマスターできるはずです。

目的を持って聞くことの大切さについて

最近、聞くことの大切さについて考えています。英語のリスニングに関する記述でも触れている内容ですが、私たちは思ったほど、聞いていないのです。日本語だから、わかった気になっているだけのような気さえします。

例えば、カフェで隣席から聞こえてくる会話が耳に入ってきます。それが英語であれば身構えて聞いて、何となく何について話しているかわかるような気がするという風に感じるかもしれません。

でも、それが日本語だと無条件に自分にはわかっているというように思ってしまいます。本当でしょうか?実はわかっている気になっているだけで、何も聞いていないのかもしれないと考えたことはありますか?

そもそも「わかる」とはどういうことなのでしょうか?カフェに座っていると脈絡なく、さまざまな方向から会話の断片が耳に飛び込んできます。確かに、その断片から何らかの認識は生じているでしょう。ただ、それは電車の中で話している外国人の英語の断片が聞こえてくるのと何ら変わりないことではないでしょうか。

言葉は文脈の中に置かれてはじめてその意味がコミュニケーションとして成り立ちます。脈絡なく飛び込んできた言葉の断片が何らかのイメージを聞き手に呼び起こしたとしても、それはコミュニケーションとは別のものです。

そう考えると私たちが日常「わかる」と思っている日本語が、実は音に馴れているだけだということに気づきます。何が言いたいのかというと、目的を持って聞くことがコミュニケーションであり、目的を持って聞けば、英語だろうと日本語だろうと、コミュニケーションは成立するのだということです。

それに対して、目的を持って聞いていない場合、言葉は自分の中にある経験の記憶や想念と結びついて妄想化します。それはコミュニケーションとは別のものです。当然、経験の記憶や想念の蓄積の多い日本語を聞いた方が、そこから引き出されるイメージの連鎖も活発に行われます。それを、私たちは「わかった」と認識してはいないでしょうか?

このテーマは興味深いので、もう少し掘り下げてみようと思っています。

どうしても英語が聞き取れないという人のために(4)

前回のお話をふまえると、日常会話を聞き取るというレベルは、実はそれほど難しいことではありません。まずは、聞き取れたという状態を2つに分類して考える必要があります。

1.音が聞き取れている

2.意味が理解できている

1.は純粋に英語の音域に耳がチューニングされているかという問題です。RとLの発音の違いがわかるかどうかといったお話です。聞き取れているけれど意味は分からないという状態も当然、生じてきます。そこは日本語と同じです。また、知らない言葉が出てきた場合、既存の言葉に当てはめて聞き取ってしまい、聞き違いしてしまうということも、日本語の聞き取りと同様に起こりえます。

2.は脳の英語モードへの変換と、ボキャブラリーの問題です。いちいち頭の中で日本語に置き換えていては、双方向の日常の会話であっても一方的に話を聞くレクチャーなどであっても、すぐに意味の理解が追いつかなくなってしまいます。まずは英語をそのまま英語で理解する必要があります。それから英語のまま理解できる言葉のバリエーション、つまりはボキャブラリーを増やす必要が出てくるのです。

私たちは1→2の一連の受信行為のことを「英語が聞き取れている」と表現しています。そして1を身につけるには、とにかく頭を真っ白にして英語を聞くことです。もちろん海外ドラマのDVDなどは積極的に活用してください。字幕は当然カットして、日本語を全く想起させない状態で、繰り返し観ることです。結果的には2の力も自然と身についてきます。

聞き取る力が身につけば、英会話の苦手意識もなくなります。会話が必要となるシチュエーションがビジネスなのか、旅行なのか、それとも留学なのかで基本的なボキャブラリーは異なりますが、よく使うフレーズを丸暗記すればよいのです。相手が何を言っているのかを聞き取ることができれば、丸暗記した文章の中でも、どのフレーズを選択すればよいのかが、わかるようになります。

どうしても英語が聞き取れないという人のために(3)

前回、英語が聞き取れるようになるためのポイントについて書きました。

今回はゴール設定について書いてみようと思います。まず、「英語が聞き取れるようになりたい」という願望を持つことは、とても良いことだと思います。それによって人生の選択肢を増やしたいと漠然と考えている人も多いでしょう。ただ、ここで考えていただきたいのは、一体、どうなれば英語が聞き取れるようになった状態と言えるのでしょうか?そもそも私たちは日本語をどこまで正確に聞き取っているのでしょうか?

例えば、私はライターという職業上、インタビューを頻繁に行います。インタビューでの聞き取りは、一言一句逃さないレベルで聞き取るということを意味しています。実際に、インタビュー中にメモを取るだけでは不十分で、多くの場合、ボイスレコーダーに録音した音声の文字起こしという作業が発生します。それこそインタビュー内容を一言一句漏らさず文字に書き起こして、どこの部分を原稿内容として採用するかを検討していくのです。そこには当然、同音異義語や専門用語も出てきますので、文脈から判断して言葉を決定していきます。

私たちは通常、日本語を聞き取るというときにそこまでのレベルは求められません。仕事上のコミュニケーションであっても、重要事項はメモするとしても、その場で忘れても問題のない会話の潤滑油としての部分も多いはずです。

前置きが長くなってしまいましたが、英語のリスニングについても、全く同じことが言えます。あなたの目標とするところの聞き取れるというのが、どのレベルなのかをまず明確にする必要があります。日本語レベルでもとてもそこまでは求められないような精度をイメージしてしまって、絶対に無理だと思いこんでいる方もいらっしゃるかもしれません。

まずは、日常の日本語を運用しているレベルを目指してみませんか?案外、ざっくりと聞いていて、重要だと思われる部分については聞きなおしたり、メモしたりして頭にとどめることができるレベル。そこには聞き取りのスキルだけではなく、当然、ボキャブラリーの問題も出てくるでしょう。まずは、あなたがどのくらいの意識で普段から人の話を聞いているのかを振り返ってみてください。英語学習についても意外な気づきが得られるかもしれません。

どうしても英語が聞き取れないという人のために(2)

前回は、どうしても英語が聞き取れないという人のために、どうすれば英語が聞き取れるようになるのかについて書きました。今回は、その続きです。

私も最初は全く英語が聞き取れなかったのです。そして、何をきっかけにして英語がしっかりと聞き取れるようになったのかを振り返ってみました。

では、具体的にどのように聴けば、英語が聞き取れるようになるのかを考えてみたいと思います。聞き始めの頃は、英語の学習法について書かれた本も一通り読んでみました。その中のいくつかの本に書かれていたことがヒントとなって自分の中で一つの考えにつながりました。

1.英語を聴くときに一切、日本語を思い浮かべない

2.英語を訳さずに理解する

3.わからなくても気にせず繰り返し聴く

これは、それまでの私の英語学習と全く逆を行くやり方でした。

1.について、以前は、英語を聴いたらすぐに翻訳を読んだり、英語を聴く前に先に翻訳を読んだりしていました。

2.について、以前は、わからない単語はすぐに辞書で調べていました。

3.について、以前は、わからなければ別の音声、というように、限りなく手を広げていました。

そのようなやり方をすべて変えてみたのです。最初は日本語というガイドを失って、まさに闇の中を手探りで進むような状態でした。

それでも聴き続けているうちに、不思議なことにうっすらと霧の向こうに浮かんでくるものがあったのです。それは具体的な風景だったり、誰かの悲しむ姿だったりしました。

繰り返しますが、ポイントは3つのみです。

1.日本語を思い浮かべない

2.日本語に訳さない

3.わからなくても聴き続ける

これさえ守っていれば、必ず、ある日突然に、英語が聞き取れるようになります。それもダイレクトに英語で内容を理解できている自分を発見します。それは日本語でメッセージを受け取るのと全く同じような感じです。ただ、脳の中のメッセージ受け取る部分が違っているだけなのです。

あとは、英語でそのまま意味を理解できる言葉のネットワークをどれだけ増やしていけるかです。これは、日本語を習得するのと全く同じプロセスです。

どうしても英語が聞き取れないという人のために(1)

今日は、どうしても英語が聞き取れないという人のために書いてみようと思います。英語が聞き取れない人には当然、理由があります。

私は英語圏の生まれではありませんし、英語圏に長期滞在したこともありません。それでも、英語をはっきりと聞き取ることができます。だから知らない言葉が出てきても、全体としてどんなことを話しているのかは理解することができます。

いつから、何をきっかっけに聞き取れるようになったのかは実はそれほど明確ではありません。もともとは英語だけにフォーカスしいていましたが、その頃は、あまり聞き取れてはいませんでした。

CNNのNewsをストリーミング音声で聴いたり、P.F.DruckerやLarry King(二人には何の関連性もないですが)のAudioBookのCDを繰り返し聴いていたのですが、今のように内容がスーッと英語のまま、頭の中に入ってくることはありませんでした。

何が変わったのでしょうか?いくつか考えられる原因を探ってみようと思います。

1.しばらく英語を離れてフランス語をやっていた。(M.Proust”A la recherche du temps perduーーーDu cote de chez Swann–1er Partie Combrey—Chapitre 1″のシャドーイング)
※大学時代、第二外国語でフランス語を選択していましたし、もともとフランス映画が好きで学生時代にはたくさん見ていました。このマルセル・プルースト「失われた時を求めて」の朗読の出だしは素晴らしく、日本語ではその魅力が半減どころか全く伝わってきません。フランス語の微妙なニュアンスに富んだ表現を聞いた後に英語の朗読を聞くととてもシンプルな音に聞こえます。別にドイツ語でもいいのですが、英語よりも難しい言語を聞いてから英語を聞くと淡い霧の中から突然、知り合いの人が出てきたような親しみを感じることができます。

2.英語に戻ってからは、以前、ある程度、聞き込んでいたD.Pink”A Whole New Mind”、E.Hemmingway”A Moveable Feast”のAudioBookを1.5倍~1.25倍の早さでシャドーイングしていた。

3.新たにLibroVoxというFree public domainのAudiobooksで”Alice in Wondeland”や”The Adventures of Sherlock Holmes””The Problem of Philosophy”などを聞き込んだ。

4.BBC Radio 4で興味のあるテーマの番組のPodcastをダウンロードして聴いた。

5.移動時間、スキマ時間に上記の2~4を繰り返し行った。

次回は、具体的にどのようにやれば、聞き取れるようになるのかについて書いてみたいと思っています。

とにかく洋書を見つけたら買ってしまいます。

もちろん洋書の丸善(昔の言い方)の話ではありません。丸の内の丸善でしたら1フロアすべて洋書ですから、衝動買いしていたら、いくらお金があっても足りません。

私の場合、チェーン展開している古本屋の狭い洋書コーナーで見つけた洋書が、何となく面白そうだったからというパターンがほとんどです。最近も、知らない著者の洋書を4冊、続けさまに買いました。

そのうちの1冊をご紹介します。

Robin Sloan “Mr. Penumbra’s 24-Hour Bookstore”

“…Think this novel as part Haruki Murakami, part Dan Brown, and part Joseph Cornell: a surreal adventure, an existential detective story, a cabinet of wonders at wonders at which to marvel.” —Newsday

Reviewに村上春樹が登場するのも興味深かったのですが、その後に続くDan Brown、Joseph Cornel(箱の中の小さな世界を創造し続けたアーティスト)の名前も興味深く、全く知らない作家でしたが迷わず買ってしまいました。

またオフィスの近所にある老舗の古本屋でも掘り出し物の洋書が見つかることが多いので、週に一度はチェックしています。こちらの方は、古典のような渋めの洋書に出くわす楽しみもあります。

この方法の良いところは、どうしても自分の知っているタイトルから選んでしまいがちなところを、初めて見るタイトルでも、裏面のレビューとコンテンツや書き出しをざっと読んでみて、直感で選べるところです。

和書の場合は、あまりに知りすぎているので、全く知らない著者の新しい本との出合いというほどのものがほとんどないのですが、洋書の場合は、まだまだ知らない本に当たる確率が高いのです。

とりあえず部屋の壁面を洋書で満たしてしまいたいと思っています。